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作者は、長野県東筑摩郡広岡村(現塩尻市内)の出身。初め長野県内で教師として勤めつつ、創作に励んだ。明治41年4月(1908、33歳)上京。同43年(1910、35歳)10月から大正8年(1919、44歳)6月まで、足掛け10年を、小石川區三軒町二番地に住んだ。そこは、今日の文京区小日向4丁目1番地9号、地下鉄茗荷谷駅から少し東に歩いた、春日通り沿いの土地である。
『雲鳥』は、作者の第3歌集。ここでは、茗荷谷・小石川・大塚・雑司ヶ谷あたりを詠ったと思われる作品を、抄出する。
テキストは、第二次世界大戦後の全集によった。ただし、漢字の字体、振り仮名など、太田水穂自身に由来するものかどうか、心もとない。しかし、ここでは製作年代に限って括弧を附して注記し、残余は全て全集本に従った。 |